津田梅子 6歳 アメリカ留学 日本初の「帰国子女」

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津田梅子 6歳 アメリカ留学 日本人初の「帰国子女」となる

津田梅子さんは、1864年12月31日(元治元年12月3日)、
津田仙・初子夫妻の次女として、
江戸の牛込南御徒町(現在の東京都新宿区南町)に生まれました。

 

津田梅子さんが生まれた時、
父の仙さんは、男の子を望んでいたところ、
女の子だったことに落胆し、
名前もつけずにふてくされて家を出て、
数日間家を空けたそうで、
母の初子さんが梅の花を見て、
「うめ」と名付けました。
(1902年(明治35年)に漢字表記に
改めて「梅子」となりました)

 

明治4年(1871年)、開拓使次官の黒田清隆さんは、
女子教育にも関心を持っており、
日本の近代化のために女性が教養を身につけ
賢母を育成することが必要と考え、
岩倉使節団に随行して女子留学生を
募集する企画をしました。

 

父の仙さんがこの企画に応募し、
梅子さんはアメリカに留学することが決定しました。
女子留学生としてアメリカに行くことになったのは、
5人で、梅子さんはこの中で
最年少の満6歳でありました。

 

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この5人のうち2人は渡米後、
すぐにホームシックになり、
帰国し、残りの二人は
山川捨松(のちの大山捨松)さん、
永井繁子(のちの瓜生繁子)さんで、
後に津田梅子さんが
「女子英学塾」(現在の津田塾大学)
を創立する際に大きな力となる二人でした。

 

また、山川捨松さんのホームスティ先の
娘のアリス・ベーコンさんも
後に女子英学塾で教鞭をとることになるのでした。

 

津田梅子さんは、11年の留学生活で、
多くの知識と経験を得て
日本人初の帰国子女となります。

 

津田梅子さんは6歳という
あまりに幼い頃に渡米したため、
日本語を忘れ、
日本人のアイデンティティが構築される前に
アメリカに文化に触れ、帰国後は
日本の女性の扱いに大きな違和感を持つようになりました。

 

そして日本の女性の教育、
地位確立に大きな役割を果たしていきます。

 

という事で、今回は
津田梅子 6歳 アメリカ留学 日本人初の「帰国子女」
というお話でした。

 

 

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