清原和博 16歳 PL学園に入学 桑田真澄と出会う

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清原和博 16歳 PL学園に入学 桑田真澄と出会う

清原和博さんは1967年(昭和42年)
大阪府岸和田市で生まれ、
岸和田リトルリーグという少年野球チームに所属し、
小学4年生の頃から6年生に混ざって大活躍し、
6年生の頃にはピッチャーとして完全試合も達成しました。

 

岸和田市立久米田中学校に進学してからは
シニアリーグで活躍し、
二年生の時に関西シニアで優勝するなど
強豪チームをエースで4番のキャプテンとして
引っ張りました。

 

ちなみに
日本生命球場での練習試合の際、
日本生命球場には近鉄バッファローズの
マニエル選手が打撃練習で場外ホームランを打って
球場の外にボールが出るのを防ぐための
ネットが張られており、
「マニエルネット」と呼ばれていましたが、
清原さんもこのマニエルネットを揺らす打球を放ったそうです。

 

そんな清原さんは高校からも引く手あまたで、
30校以上から誘いの声がかかったそうです。

 

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その中から清原さんは、
PL学園高校と天理高校に絞り、
その2つで悩みました。
どちらも野球の名門高校ですが、
天理高校は一年生部員が100人以上で、
最初は球拾いから始まりますが、
PL学園高校は少数精鋭で、一学年30人ほどで、
一年生から本格的に練習ができるという事で、
PL学園高校に進学する事を決めました。

 

実は清原さんは中学3年の夏、
PL学園高校のセレクションの
バッティングテストの際に、
PL高校の選手の球は打てても、
一人だけ打てないピッチャーがいました。

 

同じくセレクションを受けにきていた
桑田真澄さんでした。

 

清原さんは、桑田さんの投球を見て、
「とんでもないピッチャーがいる」
と驚き、強く印象に残っていました。

 

入学後にその桑田真澄さんと再会し、
高校野球界、そして日本の野球を賑わせていく
「KKコンビ」の伝説の始まりとなりました。

 

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桑田真澄さんは、入学当初の遠投の練習で、
他の選手は肩の強さをアピールするため、
角度をつけて球を放りましたが、
桑田さんは低い弾道で球を投げました。

 

上級生から、「高くあげろ」と言われても、
またもや低い弾道で投げました。

 

「自分はピッチャー」
という桑田さんの無言のアピールに、
それを見ていた中村順司監督も、
「たいしたタマだな」
と感心したそうです。

 

清原さんは桑田さんの投球を見て、
「これはとうていかなわない」と、
ピッチャーを諦め、打者としての道を極める事を
決意したといいます。

 

ちなみに桑田さんは清原さんをはじめ、
同級生の体格を見た時に、
「キャシャな自分が高校野球で通用するだろうか」
と不安になったそうです。

 

という事で今回は
清原和博 16歳 PL学園に入学 桑田真澄と出会う
というお話でした。

 

 

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