田臥勇太 16歳 能代工業で1年生から大活躍

スポンサードリンク

田臥勇太 16歳 能代工業で1年生から大活躍

後に日本人初のNBAプレイヤーとなる田臥勇太選手は、
神奈川県の大道中学校を卒業し、
秋田県の校能代工業に入学します。

 

能代工業は全国から腕に自身のあるバスケプレイヤーが集まり、
高校バスケットの名門中の名門ですが、
田臥選手は入学当初から頭角を現し、スタメンとなります。

 

ちなみにこの年のスタメンは2年生の畑山陽一選手、小嶋信哉選手、
それに一年生の田臥勇太選手、菊池勇樹選手、若月徹選手の
2年生2人、1年生3人という顔ぶれです。

 

田臥勇太選手は「1年生ながらスタメン入りした」というレベルでなく、
すでにエースとして、チームをひっぱり、
インターハイ、国体、高校選抜(ウィンターカップ)の
3大タイトルを制し、その後卒業するまで三年連続で3大タイトルを制し、
史上初の9冠を達成します。

 

そんな田臥勇太選手が高校生活で、
高校生相手の公式戦で唯一の敗北を経験するのが、
高校1年の東北大会です。

 

宮城の名門・仙台高校に敗れます。

 

スポンサードリンク

 

この時、試合後に加藤三彦監督が田臥選手にこのように話しています。

 

「ガード(田臥選手のポジション)はチームの全責任を負うんだよ。いいか?
今日のお前は最悪。高校バスケットは甘いもんじゃないんだよ」
その後も、加藤三彦監督は「おめー一人の考え方で能代工業潰されたくねーな」
というように厳しい中にも、田臥選手の存在の大きさを感じさせる言葉を掛けていました。

 

田臥選手は高校三年間、日本中から注目され、
その重圧に耐え続け勝ち続けました。

 

加藤監督は田臥選手の高校生最後の試合の後には、
「田臥のプレイみてると涙出てくるよね」
と、その精神力を激賞するコメントをしています。

 

ちなみに当時、小中学生のバスケキッズは
田臥選手の履くバスケットシューズ(バッシュ)に影響を受け、
田臥選手が愛用していたナイキのペニー2、ズームフライト95、
ズームフライト96、ズームフライト5といったバッシュが大人気となりました。

 

当時はナイキのエアマックスシリーズが大流行となり、
ナイキのスニーカーが注目されていましたが、バスケキッズたちは、
エアマックスシリーズやジョーダンシリーズよりも田臥着用バッシュに注目していた気がします(笑)

 

大人気バスケ漫画スラムダンクの作者・井上雄彦先生も田臥選手をこのような言葉で激賞していました。
「田臥選手には漫画を超えられた」

 

という事で今回は
田臥勇太 16歳 能代工業で1年生から大活躍
というお話でした。

 

偉人たちの10代一覧へ

関連記事
スポンサードリンク
スポンサードリンク


ホーム 人物名鑑 人生相談 今日は何の日? リラックス法学部 全記事一覧