織田信長 27歳 桶狭間の戦いで今川義元を破る

織田信長 27歳 桶狭間の戦いで今川義元を破る

織田信長 27歳 桶狭間の戦いで今川義元を破る

 

1560年(永禄3年)、織田信長さんは、今川義元さんを破り、
戦国時代に鮮烈デビューを飾ります。

 

駿河の大名・今川義元さんは三河、遠江も治め70万石を持つ
大物大名でした。総兵力は25,000人で、
織田軍4000人に圧倒的兵力の差を持って、
織田軍を踏みつぶそうとしていました。

 

今川軍の勢力が織田軍に忍び寄り、
勝ち目はないと見て、寝返る織田軍の武将もどんどんでてきて、
織田軍は不利な状況に追い込まれました。

 

しかし、織田信長さんは情報収集と情報操作を駆使して
このピンチを切り抜けていきます。
寝返った武将から織田軍の内情が漏れてしまうという状況で、
織田信長さんは、寝返った武将の筆跡を真似して、
ニセの手紙を今川軍に送り、あたかも寝返った武将が織田軍と通じているかの
ように勘違いするように仕組みました。
今川義元はこの作戦にすっかりひっかかり、この武将たちを疑い、
切腹を命じたといいます。

 

また、織田信長さんは密偵を使って常に今川義元さんの動きが
本拠清州城に伝達されるようにしていました。
織田軍の密偵は優秀で、今川軍の情報はすべて筒抜けになっていました。

 

情報面では優勢に立っている織田軍ですが、圧倒的な兵力差があり、
今川軍の接近で緊張は高まります。

 

圧倒的な兵力差からまともに相手にしたのでは負けは見えています。
織田信長さんは、今川義元さんの首1つに狙いを定めました。

 

内心、作戦を決定していた織田信長さんですが、
作戦会議の際は自分は何も発言しなかったといいます。

 

情報を重んじる織田信長さんは自分の情報が漏れる事にも
細心の注意を払っていたのです。

 

織田信長さんは軍を小分けにして、動きを悟られないように
しながら迫り来る今川軍を迎撃し、
今川本陣の動きをつかもうと観察していました。

 

そして織田軍の簗田政綱さんが今川義元さんがいる本陣を発見し、
桶狭間で昼食休憩をとっているという情報を得ます。
(信長公記には桶狭間山に今川軍の本陣が待機していたとあります。)

 

織田信長さんは、少ない兵が残っている砦で、
のぼり(旗)を立てて、そこに陣を張っているという
フェイントを仕掛けながら移動して、今川軍の本陣に近づいて行きました。

 

そこに大雨が降ってきました。
濡れる事を嫌った今川軍が散り散りとなって
雨が上がるのを待っているところに、
織田信長さんは
「今川義元の首1つを狙え」と告げ、
織田軍は一気に突入していきました。

 

そして毛利良勝さんが今川義元さんの首を取り、
大将を失った今川軍は一気に瓦解しました。

 

こうして織田信長さんは圧倒的兵力差の闘いを制し、
戦国の世に名を轟かせ、鮮烈なデビューを飾りました。

 

なお、織田信長さんはこの闘いで最大の功労者として一番多くの褒美を
与えたのは、今川義元の首を取った毛利良勝さんではなく、
今川軍の本陣が桶狭間で昼食を取っている情報を持ってきた簗田政綱さん
でした。
それまでは大将の首を取った者が最大の功労者とされていた常識を覆し、
織田信長さんがいかに情報を重視していたかをうかがい知れるエピソードです。

 

という事で今回は、
織田信長 27歳 桶狭間の戦いで今川義元を破る
というお話でした。
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