有吉弘行 22歳 電波少年の企画でヒッチハイクで香港からロンドンまで

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有吉弘行 22歳 電波少年の企画でヒッチハイクで香港からロンドンまで

有吉弘行さんは、1993年に
読売テレビの『EXテレビ』の
「公開弟子審査会」という企画で、
オール巨人さんの弟子入りに合格しましたが、
1994年に兄弟子とのケンカで謹慎処分を受け、
後に破門となりました。

 

(なお、それから15年近い時を経て、
テレビ番組「ダウンタウンDX」で
オール巨人さんと有吉弘行さんが共演した際に
有吉弘行さんはオール巨人さんに
「楽屋の厄介者」というあだ名をつけ、
「事務所違うけど謹慎や」
というやり取りがありました。)

 

その後、有吉弘行さんは森脇和成さんと
「猿岩石」を結成し、
1996年、テレビ番組『進め!電波少年』の企画の
オーディションを受け、内容を告げられないまま
中国の香港に連れてこられ、生放送の番組中に、
「香港からロンドンまでユーラシア大陸を
ヒッチハイクで横断する」
という企画内容が発表されました。

 

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猿岩石の旅の模様は電波少年で毎週放送され、
回を重ねるごとにその人気は増していきました。
爆風スランプのサンプラザ中野さん、パッパラー河合さんが
インドに駆けつけ、猿岩石の応援歌を弾き語りし、
その歌「旅人よ ?The Longest Journey」
はその後、大ヒットを記録しました。

 

猿岩石は香港を出発してから約半年間で
ロンドンにゴールしました。

 

ゴール直後に「アメリカ南北大陸縦断」を提案され、
日本行きのチケットか、スタート地点のマゼラン海峡行きのチケットか
選択するよう迫られ、猿岩石は日本行きのチケットを選択し、
無事帰国しますが、スタッフは帰りの飛行機で激しく怒りを
露わにしていたそうです。

 

なお、後に土屋敏男プロデューサーは自身の著作の中で、
電波少年がお笑い番組なのに感動へ向かっていることに危機感を覚え、
猿岩石は日本行きを選ぶと確信していたからこその、
ふざけた演出だったことを明かしています。

 

帰国後に西武球場で行われた記念イベントは
超満員となり、半年間の間で日本で超有名人になっている事に
全く実感のない猿岩石は驚愕の表情を浮かべていました。

 

その後2人が道中に書いた日記『猿岩石日記』は
シリーズ累計で250万部のベストセラーとなり、
旅の模様を記録したビデオも大ヒットとなりました。

 

という事で今回は
有吉弘行 22歳 電波少年の企画でヒッチハイクで香港からロンドンまで
というお話でした。
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