芥川龍之介の作品「鼻」のあらすじ解説と感想文

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芥川龍之介の作品「鼻」のあらすじ解説と感想文

「鼻」は1916年(大正5年)、
芥川龍之介先生が24歳の時に発表した作品で、
夏目漱石先生も絶賛したといいます。

 

今回はこの名作中の名作「鼻」について、
あえて苦言を呈する形もとりつつ
勝手にあらすじの解説と感想文をつづっていきたいと思います。

 

 

禅智内供(ぜんちないぐ)という
50歳を越えた僧(お坊さん)が主人公のお話です。

 

内供は上唇からアゴの下まで垂れ下がる長い鼻をしておりまして、
その長さは5,6寸、つまり、15〜18センチほどありました。

 

お坊さんとしては、かなり位の高い地位までのぼりつめた内供ですが、
この鼻の事が気になって気になってしょうがないわけです。

 

しかし、自分が気にしているという事が周りに気づかれるのがイヤで、
気にしないふりを装っていました。

 

鼻は物理的にも非常に厄介なものでした。
メシを食う間じゅう、弟子が板で鼻を持ち上げていなければならず、
これは食べる内供も弟子も容易なものではなかったのです。

 

一度、弟子の代わりに
中童子(12、3歳の少年)がこの役目をした際は、
手が震えて、鼻を粥の中に落としてしまい、
このエピソードは京まで伝わったとの事です。

 

内供は鏡に向かって、
ちょっとでも鼻が短く見える方法はないだろうかと
試行錯誤しますが、短く見えた事は一度もありません。

 

この内供の心境は痛いほど伝わってきますね。
お年頃に「なんでこんなところにニキビができちゃうの…」
と鏡を見ながらテンションが下がりまくり、
「どうにか目立たない方法はないだろうか…?」
と鏡を色んな角度からのぞきこむような
思い出は誰しもあるのではないでしょうか?

 

そして内供は考えます。
「偉人で自分と同じように鼻の長い人物はいないかなぁ…」
これも痛く共感できる気持ちです。

 

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自分のコンプレックス、悩み、持病など、
偉人も同じものに悩まされていたと知ると、
妙に勇気づけられるものです。

 

肉体的なものから、精神的なものまで、
「この人もそうだったんだ!」
と思うだけで、かなり救われた気持ちになったりします。

 

内供は三国志の劉備玄徳が
耳が長かったという話を聞いた時に、
「それが鼻だったらどのぐらい自分は心細くなくなっただろう」
と思ったといいます。

 

そんな日々を過ごしていたわけですが、
弟子が長い鼻を短くする方法を
医者から教わってきたという話をします。

 

内供は鼻が長い事など気にしていないと装いながら、
弟子の方からそれを試してみましょうと
提案してくるようにうまく促し、
その方法を試してみることにしました。

 

自分からその方法を頼むのでなく、
弟子に言わせる形にする内供の心境も
痛々しいですね…

 

そしてその治療法を実践してみるわけですが、
要は鼻を熱湯でゆで、弟子が足で踏むというものです。

 

「そろそろゆだった頃すかね?」
という弟子の言葉に、
内供が「これ他の人が聞いたら鼻の話をしてるとは思わないだろうな」
と苦笑したり、
ゆでたり踏んだりの過程で、弟子が無意識に鼻を「これ」呼ばわりして、
内供がそれに地味に腹を立てるくだりは、
内供の痛々しい心境の描写から一転、
まるでコントです(笑)

 

そんなこんなを経て、なんと鼻は本当に短くなりました!
内供はこれで自分のコンプレックスから解放され、
のびのびした気分になりました。

 

しかし、その後、会う人会う人、
内供の鼻を見ては笑いをこらえている様子です。
それも長かった頃に笑われていたのとは、
なんとなく質の違う笑われ方を内供は感じました。

 

内供を笑う者には、
人間の心の2つの矛盾した感情がありました。

 

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人間には他人の不幸を同情する気持ちがあるけれども、
他人がその不幸を乗り越えると、なんとなく物足りなさを感じ、
もう一度同じ不幸に陥れたくなるという感情です。

 

周囲のそういった目に内供は日増しに機嫌が悪くなり、
鼻が短くなったことをかえって恨めしく思いました。

 

 

ある夜、内供の鼻がむずがゆくなり、
熱も出てきました。
「無理に短くしたので、病が起こったのかもしれぬ」
と想い、床につき、翌朝目が覚めると、
忘れようとしたある感覚が内供に帰ってきました。
鼻に手をやると、ゆうべまでの短い鼻ではなく、
5,6寸のあの長い鼻でした。

 

内供は鼻が短くなった時と同じ、はればれした気分が
どこからともなく帰ってくるのを感じ、
「これでもう誰も笑う者はいないに違いない」
と心の中でささやきました。
長い鼻を秋風にぶらさげながら。

 

という結びなわけですが、どのように感じましたか?

 

 

さて、私がまず思うのは、
「いやいや!笑われないどころか短くなった時の倍笑われるでしょ!」
という事です。

 

今回の一回鼻が短くなったというエピソードは、
鼻を粥に落とした話の比じゃないレベルで話が拡散していくはずです。

 

短いままでいたら次第に皆慣れてきて、
人間の感情の矛盾うんぬんも通りすぎて、
それが普通になっていくはずです。

 

しかし、ここで鼻がまた長くなってしまったら、
それこそ格好の餌食です。
鼻が一時期短くなったエピソードは永遠に語り継がれることでしょう。
(少なくとも大正から平成の現代まで語り継がれているのです)

 

私がこの作品に思ったのは、
「芥川先生、最後逃げてないですか?」
というのが正直あります。

 

なんか「考えさせられる話だなぁ」みたいにぼんやりさせて、
結びをぼやかしてないですかという気がしてなりません…。

 

他人の不幸をネタにする周囲の人間の心理が動く描写も無ければ、
内供が何かを学び、あるいは悟り、
コンプレックスを超越する精神性が宿るという描写もありません。
最後の心境が
「これで誰にも笑われないぞ」
ですから。

 

50年間この悩みを周囲に悟られないように生きてきた人物が、
「また鼻が長くなったから笑われるネタが消えた!」
こんな安易な発想するでしょうか?
鼻が短くなるまでのデリケートな描写とギャップがありすぎます。

 

鼻をゆでるくだりあたりでふざけだして
集中力が切れている感じがします(笑)

 

という事で、今回は芥川龍之介先生が
24歳の時に発表した名作中の名作「鼻」
にあえて苦言を呈す形を取りながらも
私の感想文をつづってまいりました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。

 

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芥川龍之介「羅生門」の感想はこちら

 

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