宮沢賢治 30歳 農業学校「羅須地人協会」を設立

スポンサードリンク

宮沢賢治 30歳 農業学校「羅須地人協会」を設立

宮沢賢治先生は25歳の頃から、
花巻農学校(後の花巻農業高等学校)で、
教師として活躍し、教科書を使わず、
科目の枠にとらわれることなく、
縦横無尽に展開する授業が生徒にも大好評で、
宮沢賢治先生自身も
非常に充実した教師生活をおくっていました。

 

しかし、卒業は生活面にも苦しむ農業に従事するよりも、
役所や技師として就職するものが多く、
農村の働き手が育たず、
地域は衰退していく一方でした。

 

宮沢賢治先生もこれの状況を憂い、
生徒たちに農業に従事するようすすめてはいましたが、
宮沢賢治先生自身は実は
自分で農業をしたことがありませんでした。

 

そして、生徒に不安定な農業をすすめるものの、
自分は教師として安定した収入を得ている状況に違和感をおぼえ、
教師を辞め、自分が農業に従事する事を決意します。

 

スポンサードリンク

 

家族や周囲は大反対でしたが、
宮沢賢治先生はそれを押し切り、
自ら農業を始めました。

 

農業を始めて数ヶ月が経ち、
泥まみれになりながら
畑を耕す生活に宮沢賢治先生は
充実した日々をおくっていました。

 

そして、農民を育成するための学校を設立する事を決意します。

 

農業に必要な科学の知識、肥料などについてを、
「県立高校で3年かかって教える事を3時間で教えます」
という謳い文句で、授業料無料の学校
「羅須地人協会(らすちじんきょうかい)」を設立しました。

 

農民育成のための農業についての学校でしたが、
宮沢賢治先生がかつての教師時代の授業と同様、
「農業」という既存の枠組みにとらわれず、
レコードを流してコンサートを開催したり、
バイオリンやチェロの合奏など、
芸術に触れる要素もどんどんミックスしていきました。

 

農民も芸術に触れ教養を身につけて、
つらい農業を美しく豊かにしていこうという宮沢賢治先生の理想が
あり、この理想郷を「イーハトーブ」と名づけました。

 

という事で今回は宮沢賢治 30歳 農業学校「羅須地人協会」を設立
というお話でした。
偉人たちの30代一覧へ

関連記事
スポンサードリンク

ホーム 人物名鑑 人生相談 今日は何の日? リラックス法学部 全記事一覧