本田宗一郎 39歳 一年間の充電期間「人間休業」

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本田宗一郎 38歳 一年間の充電期間「人間休業」

1945年(昭和20年)、日本は第二次世界大戦に敗れました。

 

これにより日本は連合軍の支配下におかれ、
国そのものが変わってしまう状況となりました。

 

大混乱の世の中で人々は今後、国や社会はどのように変わっていくのか、
不安に襲われ、日本の数多の経営者たちも慌てました。

 

そんな中、本田宗一郎さんはこの年、
エンジン部品のピストンリングを
製造する会社・東海精機重工業浜松工場が三河地震で倒壊し、
所有していた東海精機重工業の全株を豊田自動織機に売却して退社
していました。

 

敗戦直後に、時代の変化にどう対応するか世の中が慌てふためく中、
本田宗一郎さんは「人間休業」と称して、
のんびりと1年間の休養に入ります。

 

友人と飲み歩いたり、趣味の将棋をうったり、
尺八を吹いてみたり、アイスキャンディを作る機械を
自分で作ってみたり、と、自由きままな日々を過ごしました。

 

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そんなモノ作りの才能では有名人だった本田宗一郎さんを周囲は
放っておくはずがなく、色々なモノの製造の依頼や協力の
お願いの声もかかってきますが、
「まだ、その時期ではない」
と断り、頑なに遊びを続けました。

 

世間の人たちは本田宗一郎さんを
「敗戦ボケ」「何にも仙人」
と呼んで、呆れていましたが、
本田宗一郎さんは、気にせず遊び続けました。

 

本田宗一郎さんは遊びながら、冷静に世の中を観察し、
静かにエネルギーを蓄えていました。

 

そして、休業宣言から一年あまりが経ち、
「時はきた!」
と言わんばかりに、
1946年10月本田技術研究所を立ち上げました。
ここから蓄えたエネルギーを放出していくことになります。

 

という事で、今回は本田宗一郎 38歳 一年間の充電期間「人間休業」
というお話でした。

 

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