夏目漱石38歳「吾輩は猫である」を俳句雑誌「ホトトギス」で発表

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夏目漱石38歳「吾輩は猫である」を俳句雑誌「ホトトギス」で発表

1905年(明治38年)、日露戦争でロシア軍が降伏し、
号外が街にあふれる中、俳句雑誌『ホトトギス』で、
夏目漱石さんの小説「吾輩は猫である」が掲載されました。

 

「夏目漱石」というペンネーム(雅号)が小説で初めて
使われたのはこの時です。
(それまでも俳句や漢詩で「夏目漱石」というペンネーム
を使っていました)

 

「漱石」という名は中国の故事「蒙求(もうぎょう)」に由来します。

 

「枕石漱流(ちんせきそうりゅう)」という
本来は「石を枕にして、流れに口をすすぐ」という
風流な暮らしをするという表現ですが、
ある人が間違って
「枕流漱石(ちんりゅうそうせき)」と言ってしまい、
その間違いを訂正せず、
『「川の流れを枕にして耳を洗って、石で口をすすいで
歯を磨く」という意味で言ったんだ』
と言い張った事から、
意地っ張りなものを「漱石」というものです。

 

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もともとは夏目漱石さんの親友・正岡子規さんが使っていた
ペンネームですが、夏目漱石さんが俳句や漢詩を詠む際に拝借し、
小説のデビュー作でもこの名を使用し、本人は
「俗っぽくてイヤだが、取り替えるのも億劫だし、
まあ、いいか」
という事で、この後も夏目漱石の名で作品を発表し、
国や時代を超えて世の中にこの名が轟いていきます。

 

この作品は大ヒットとなり、
夏目漱石さんはそれまで高等学校の生徒から
「夏目さん」と呼ばれていましたが、
「猫さん」と呼ばれるようになったとの事です。

 

「吾輩は猫である」は夏目漱石さんの
家で拾われた猫をモデルとし、
苦沙弥(くしゃみ)先生は自分がモデルで、
事実を脚色して描いた部分も多く、
寒月のモデルの寺田寅彦さん(当時夏目漱石さんの教え子)は
シイタケを食べて前歯が欠けて
しまったシーンを描かれてしまい、
「先生、そんな事まで書かないでくださいよ」
と苦笑したそうです。

 

という事で、今回は「吾輩は猫である」で夏目漱石さんは鮮烈な小説家
デビューを飾るというお話でした。
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