夏目漱石39歳「坊っちゃん」「草枕」を発表

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夏目漱石39歳「坊っちゃん」「草枕」を発表

夏目漱石さんは1905年(明治38年)俳句雑誌「ホトトギス」で
小説「吾輩は猫である」の連載を開始し、
毎回「ホトトギス」が売り切れ、増刷するほどの大ヒットとなり、
鮮烈な小説家デビューを飾りました。

 

「吾輩は猫である」の連載を続けながら、
さらに立て続けに「倫敦塔」「カーライル博物館」
「幻影の盾」「琴のそら音」「一夜」「薤露行」
といった作品を発表しました。

 

 

そして、翌1906年(明治39年)、
夏目漱石さんは、俳句雑誌「ホトトギス」で小説「坊っちゃん」
を発表しました。

 

自身の松山での教師生活の経験を下敷きに、
東京生まれ東京育ちの江戸っこ気質を
「坊っちゃん」の投影させた作品は、
その坊っちゃんの愚直な生き方が多くの人の共感を呼び、
人々の心をつかみました。

 

さらに小説「草枕」を文芸雑誌「新小説」で発表し、
こちらも「新小説」があっという間に売り切れるほどの
大人気となりました。

 

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この頃、日本ではヨーロッパの文学の影響を受けた、
「自然主義」という文学の流れがあり、
それは個を尊重し、暗く、ドロドロした部分に目をそらさず
現実のままに描き出そうというものでした。

 

「坊っちゃん」「草枕」はそのような文学の流れの外側にあり、
夏目漱石さんが「書きたいものを書いた」
というものでした。

 

自然主義派の作家は、夏目漱石さんの作品に対し、
「作りものにすぎない」
と軽視して、批判する者もいましたが、
夏目漱石さんは、
「例え、作りものでも登場人物や状況が生き生きして、
それが自然としか思えないようなものならば、それでいいじゃないか。
それが創造だ」
としました。

 

夏目漱石さんの文学は、自然主義に相反する形で
「反自然主義文学」や「余裕派」と
言われたりしています。

 

ちなみに「余裕派」という言葉は、
夏目漱石さんが高浜虚子さんの小説『鶏頭』の序文で
「余裕のある小説と、余裕のない小説」
と書いたことに由来すると言われています。

 

という事で、今回は、
夏目漱石39歳「坊っちゃん」「草枕」で発表
というお話でした。
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