上杉鷹山 名言 なせば成る 為さねば成らぬ何事も

上杉鷹山 名言 なせば成る 為さねば成らぬ何事も

上杉鷹山 名言 なせば成る 為さねば成らぬ何事も

 

 

上杉鷹山さん17歳で、米沢藩藩主に就任しました。
米沢藩は借金額は16万両(現在の約160億円)の
経済状況で、財政改革が急務でありましたが、
まずは倹約に務め、コストカットをし、
兵農分離の社会の中で、
武士を農業に従事される農業改革を行い、
漆、桑、楮の木を植え、地場産業の
殖産興業での財政収入の増加を企みました。

 

最初は好調だったものの、
漆のロウソクよりも安価で燃費のいい
櫨のロウソクの登場により、
地場産業が衰退し、浅間山の噴火による
天明の大飢饉が追い打ちをかけ、
被害額は11万両に及び、米沢藩の財政状況は
悪化の一途をたどりました。

 

上杉鷹山さんは米沢藩の財政復興の
志を果たす事ができぬまま、
35歳で藩主を退きました。

 

その後も藩の借金は増え続け
30万両(300億円)にまで膨れ上がっていました。

 

上杉鷹山さんは隠居から5年後、
米沢城に戻りました。
家臣を全員集め、このままでは本当に
米沢藩が潰れてしまうと鼓舞し、
総動員で米沢藩を立て直す事を
宣言しました。

 

上杉鷹山さんは養蚕業で財政を立て直す事を
決意します。
養蚕業が軌道に乗るまで時間がかかるので、
村には食べられる80種類の野草とそのレシピを
掲載した書物「かてもの」を配布し、
食糧難を乗り越えようと務めました。

 

蚕が育ち、絹糸が取れると、
今度は絹織物を作り、価値を上げ、
さらに収益の増加を見込みました。

 

農民と武士が農業で忙しい中、
武家の女性に織物を奨励し、
完成品を藩が全て買い取る事で、
モチベーションを上げました。

 

「透綾(すきや)」を始めとした米沢織が
大ヒットし、年間10万両の売上を誇り
1823年(文政23年)、見事、米沢藩はこれまでの借金の
完済に成功しました。

 

 

改革の途中、上杉鷹山さんが
次の名言をのこしました。
「なせば成る 為さねば成らぬ何事も
成らぬは人の為さぬなりけり」

 

この、あきらめずに、挑戦する志
今の米沢の方々にも引き継がれています。

 

また、上杉鷹山さんは次のようにも言いました。

 

「人民の為に立てた、君主であり、
君主の為に立てた、人民ではない。」

 

という事で今回は
上杉鷹山 名言 なせば成る 為さねば成らぬ何事も
というお話でありました。

 

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