村岡花子46歳 モンゴメリの"Anne of Green Gables"「赤毛のアン」の翻訳を始める

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村岡花子46歳 モンゴメリの"Anne of Green Gables"「赤毛のアン」の翻訳を始める

村岡花子(本名・村岡はな)さんは、
1893年(明治26年)6月21日
山梨県甲府市の安中逸平さん・てつさん夫妻の
長女として生まれました。

 

逸平さんは妻の実家の親戚の方々とは
考えが合わず、いつも衝突し、
花子さんが5歳の時に、逸平さんはこの状況から脱すべく
一家で上京し、南品川で葉茶屋を営むようになりました。

 

逸平さんは花子さんの知性・才能を見抜き、
城南尋常小学校に通う花子さんに、
もっと高いレベルの教育をさせるべく、
花子さんが10歳の時に
東洋英和女学校へ給費生として
編入学させました。

 

なお、この時の家族の経済状況は
決して余裕のあるものではなく
8人兄弟のうち、このような教育を
受けることができたのは長女の花子さんだけで、
他の兄弟は養子や奉公などで家を出され、
父・逸平さんはこのような状況の中でも、
花子さんの才能を伸ばすための選択をしたので
ありました。

 

花子さんは、東洋英和女学校でカナダ人の
I・S・ブラックモーア宣教師から英語を学び、
同級生の柳原白蓮さんの紹介で
佐佐木信綱さんと出会い
万葉集などの日本の古典文学を学んでいきました。
(この頃からペンネームとして
「安中花子」を名乗るようになりました。)

 

1914年、花子さんは、英語の語学力と、
文学などの教養を身につけ
東洋英和女学校高等科を卒業し、
英語教師として山梨英和女学校に赴任しました。

 

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また、英語教師をしながら友人と共に
歌集『さくら貝』を刊行するなど、
精力的に表現活動を続けました。

 

1917年から、東京・銀座の
キリスト教図書出版社である
教文館に女性向け・子供向け雑誌の
編集者として勤務し、
英語児童文学の翻訳紹介の道に入っていき、
1927年、アメリカの作家マーク・トウェインさんの
児童文学作品"The Prince and the Pauper"を
翻訳して、『王子と乞食』という邦題で
平凡社から公刊しました。
(ちなみに1919年に村岡?三さんと結婚し、
花子さんは村岡姓となりました。)

 

1939年、村岡花子さんが46歳の時に
宣教師のミス・ショーさんから
モンゴメリさん長編小説"Anne of Green Gables" を
紹介され、後の「赤毛のアン」と出会い、
翻訳を開始しました。

 

花子さんは戦時中の電灯やローソクなどの
照明の使用を制限される
灯火管制の中でも、地道に翻訳を続け、
終戦の頃についに翻訳が完了し、
この小説は1952年に「赤毛のアン」という邦題で
出版され、たくさんの日本人の心をつかみ
「赤毛のアン」は不朽の名作として現代まで
読み継がれる作品となりました。

 

という事で今回は
村岡花子46歳 モンゴメリの"Anne of Green Gables"「赤毛のアン」の翻訳を始める
というお話でした。

 

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