種田山頭火 44歳 俳句の師匠・荻原井泉水に「最初で最後の道に入った」と手紙を書く

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種田山頭火 44歳 俳句の師匠・荻原井泉水に「最初で最後の道に入った」と手紙を書く

種田山頭火(本名・種田正一)さんは、
山頭火さんは1906年(明治39年)25歳で
酒造業を開業し、
1909年(明治42年)に村会議員の
佐藤光之輔さんの長女サキノさんと結婚し、
翌年には長男健が生まれました。

 

山頭火さんは俳句の活動も精力的に行い、
俳句の革命児・荻原井泉水さんが主催する
新傾向俳句誌「層雲」に、
投稿を続け、その才能が注目を集め、
次第に山頭火さんは34歳で「層雲」の
選者となりました。

 

山頭火さんの人生に少しづつ実りが
見えてきた時期でありましたが、
酒蔵の酒が2年連続で腐り、
種田酒造が破産してしまいます。

 

一家は離散し、夜逃げ同然で俳句仲間を頼って
妻子と熊本へ移り、
古書店「雅楽多書房」を開業しますが、
なかなか経営がうまくいず、
サキノさんとも離婚する事になってしまいます。

 

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さらに山頭火さんの弟の二郎さんが自殺をし、
精神的に追い込まれた山頭火さんはますます
酒に溺れるようになっていきます。

 

1924年(大正13年)、種田山頭火さん42歳の頃、
色々な仕事につきますが、どれも長続きせず、
昼から酒を浴びる毎日を送り、
路面電車の前に立ち、電車を止めてしまうという
事件を起こします。

 

その時、たまたま知り合いの記者が
山頭火さんを助け、報恩禅寺に連れていかれます。

 

山頭火さんは寺に住み込み、禅の修行に励むように
なります。
山頭火さんは44歳の頃に
俳句の師匠・荻原井泉水さんに
次のような手紙を書いています。

 

「私も二十年間彷徨して私自身の道
そして最初で最後の道に入ったやうに思ひます」

 

山頭火さんはその後、
寺を出て雲水姿で西日本を中心に放浪の旅を続け俳句を詠み、
旅先から『層雲』に投稿を続けました。

 

 

という事で今回は
種田山頭火 44歳 俳句の師匠・荻原井泉水に「最初で最後の道に入った」と手紙を書く
というお話でした。

 

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