伊能忠敬 51歳 幕府天文方高橋至時、間重富に弟子入り

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伊能忠敬 51歳 幕府天文方高橋至時、間重富に弟子入り

伊能忠敬さんは、佐原の伊能家の婿養子となり、
伊能家の家業の酒、醤油の醸造を中心に、
金融業、運送業、米の売買で商才を発揮し、
伊能家の発展に大きく寄与し、伊能家だけでなく
地域の人々からも絶大なる評価と信頼を得て、
佐原ではなくてはならない存在となっていました。

 

そんな伊能忠敬さんですが、子供の頃から算法に熱中し、
学問への情熱も凄まじいものがありました。

 

50歳になり、家業を引退して隠居し、
江戸で学問をしたいという願望がありましたが、
周囲の人々は伊能忠敬さんに江戸に行かれては
困るという事で、なかなか実現できずにいましたが、
粘り強く跡継ぎの育成と周囲の説得を続け、
51歳の時についに隠居し、
江戸で学問を専念できる事になりました。

 

この時に、伊能忠敬さんの師匠となったのが、
幕府天文方・高橋至時さん、間重富さんでした。

 

「幕府」天文方という事で、幕府(お上)公認の
学術機関です。

 

当時、まだ暦(カレンダー)は不安定なものでした。
天文学を研究して、暦を作りますが、
毎年少しずつずれてきてしまっていたのです。

 

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幕府や時の権力者は暦、
つまり時間を正確に把握する事は
非常に重要な事で、暦の精度の高さはすなわち
その権力者の治める国の
学術レベルを象徴するものなので、
なんとしてもこのズレた暦を
どうにかしたいという想いがありました。

 

そこで登用されたのが天文学者で
天才とされていた高橋至時さん、
間重富さんでした。

 

高橋至時さん、間重富さんは国家公認の
エリート研究者だったわけです。

 

その2人が若年寄の紹介で50歳の伊能忠敬さんを
弟子にしなければならないとなった時、
「老後の道楽に付き合わされても困るなぁ」
と、はじめは億劫に感じていましたが、
伊能忠敬さんと対面し、
話を聞くと、それまでに学んだ算法の素養が意外にも
かなりしっかりしたものである事に驚き、
また、何より学問に向かう情熱に感化されました。

 

この時、高橋至時さん32歳、伊能忠敬さん51歳で、
弟子が19歳も年長という関係ですが、
互いに年齢を意識せず、学問を志すもの同志として
強い信頼と敬意で結ばれた師弟関係となりました。

 

ここでの天文学の研究の下積みを重ね、
「緯度1度の長さがわかれば地球の円周がわかる。
これがわかれば世界に名を残せる」
という、伊能忠敬さんが日本を測量するキッカケとなる
野心が生まれてくるのでした。

 

という事で、今回は伊能忠敬 51歳
幕府天文方高橋至時、間重富に弟子入り
というお話でした。
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