白瀬矗 51歳 日本人で初めての南極探検

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白瀬矗中尉 51歳 日本で初めての南極探検

白瀬矗(しらせのぶ)さんは、
浄蓮寺の住職、白瀬知道・マキエの長男として
出羽国由利郡金浦村(現在の秋田県にかほ市)に
生まれました。

 

矗さんは相当なわんぱく少年で、
騒ぎを起こさない日はなかったといいます。

 

矗さんは、8歳の時に医師で蘭学者(漢学者とも)の
佐々木節斎の寺子屋で読み書きソロバンや
四書五経を学びました。
佐々木さんに世界の探検家の話に
大きな興味を持ちました。
探検家に強い憧れを持った矗さんに対し、
佐々木さんは、探検家になるならば
次の5つの戒めを守らなければいけないと
教えました。

 

一、酒を飲むべからず
一、煙草を吸うべからず
一、茶を飲むべからず
一、湯を飲むべからず
一、寒中でも火にあたるべからず

 

矗さんは、この教えを少年期から生涯
忠実に守りぬいたといいます。

 

矗さんは、探検家になるには
軍人になるのが手っ取り早いと
考え、陸軍教導団騎兵科に入校し、
卒業後には陸軍に入隊し、
軍人となりました。

 

矗さんは、後の陸軍大将・児玉源太郎さんに出会い、
北極探検をしたいという野心を伝えると
「北極探検を志すなら、まず樺太や千島の探検を
するのがよいのではないか」と
アドバイスをもらいます。

 

海軍が千島に部隊を派遣するという情報を聞いた
矗さんは、頼み込んでその部隊に加わりました。

 

マイナス40度の千島での生活は、
地獄であり、50人いた隊員のほとんどが
死亡する過酷すぎるものでした。
2年5ヶ月の時を経て、矗さんは
本土に生還しました。

 

1909年、中尉となった矗さんは、アメリカの探検家ピアリーさんが
人類で初めて北極点に到達したというニュースを知り、
愕然とします。

 

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そこで、北極が先を越されてしまったのであれば、
まだ前人未到の南極上陸を目指す事を決意します。

 

しかし、南極探検には資金が必要です。
国にはビタイチださないと言われますが、
矗さんは大隈重信さんに協力をたのみ、
大隈重信さんが矗さんの意思に賛同し、
資金集めに尽力してくれました。

 

矗さんが資金集めのために各地で行った演説は
黒山の人だかりで大好評だったといいます。

 

家族のない者で、梅干しの種を砕ける歯を
持った者といった条件で隊員を募り、
積載量が僅かに204トンという
木造帆漁船を改造し、
東郷平八郎さんによって「開南丸」と命名された船で
白瀬矗さんは49歳で南極を目指し
全滅覚悟で出発します。

 

1911年、日本の船で初めて南極圏に
突入しました。
しかし、海は氷結しており、それ以上の
進行をはばかられ、いったん引き返す
苦汁の決断をし、シドニー港で野営をして
南極海の氷が解けるのと、
日本からの救援物資を待ちました。

 

準備が整い1911年11月19日、シドニー港を出発し、
12月21日、開南丸は再び南極圏に達しました。

 

1月16日に南極大陸に上陸し、
その地点を「開南湾」と命名しました。

 

1月28日、南緯80度5分・西経165度37分の地点一帯を
「大和雪原(やまとゆきはら・やまとせつげん)」と命名して、
隊員全員で万歳三唱をして、
「南極探検同情者芳名簿」を埋め、
日章旗を掲げて「日本の領土として占領する」
と宣言しました。
(第二次世界大戦の敗戦時に領有主張は放棄しました。
また、この地点は棚氷であり、領有可能な陸地ではないことが
後に判明しました)

 

1912年6月20日、隊員27名全員生還しました。

 

という事で、今回は
白瀬矗 51歳 日本人として初めての南極探検
というお話でした。

 

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