山本五十六 56歳 反対し続けた日独伊三国同盟が成立する

山本五十六 56歳 反対し続けた日独伊三国同盟が成立する

山本五十六 56歳 反対し続けた日独伊三国同盟が成立する

 

 

日本は1933年に国際連盟を脱退しましたが、
国際的孤立を懸念して、同様に国際連盟から脱退した
ドイツ・イタリアと協力関係を築くべきという主張が
日本陸軍内で上がってきていました。

 

海軍次官の山本五十六さんは
日独伊三国同盟の締結に対し、
米内海軍大臣海軍省軍務局の
井上成美さんらとともに最後まで反対し、
日独伊三国同盟第一次交渉は頓挫しました。

 

1939年、ドイツがポーランドに侵攻し、
オランダ、ベルギー、フランスを
制圧し、イギリスにも迫る勢いになると、
日中戦争で苦戦していた陸軍から事態を打開するため
再びドイツ、イタリアとの軍事同盟を主張する声が
高まってきました。

 

この時、連合艦隊司令長官の山本五十六さんは
政治判断の場に立ち会う事はできず、
陸軍大臣・東條英機さん、海軍大臣・及川古志郎さんら
による会談により、日独伊三国同盟の締結が決定されました。

 

 

イタリア、ドイツと軍事同盟を結ぶという事は、
アメリカ、イギリスに反旗を翻すことでありました。
また、山本五十六さんが海軍次官を務めていた際、
政府の物資計画は英米圏の資材でまかなう事に
なっており、イタリア、ドイツと軍事同盟を
結ぶことにより、これもなくなる事になります。

 

山本五十六さんはこの決定に、憤り、
海軍の中枢が集まる場で、
及川古志郎大臣に詰め寄りますが、
及川古志郎大臣は「もう、勘弁してくれ」
と言い、その場を去ろうとし、
山本五十六さんは
「勘弁ですむか!」
と言い放ったといいます。

 

1940年、9月27日、
日本は日独伊三国同盟に調印し、
軍事同盟が成立しました。

 

1941年8月、アメリカが日本に対して
石油の輸出を全面禁止し、石油の8割を
アメリカに頼っていた日本は窮地に陥りました。

 

日本は石油を確保すべく、
アメリカ、イギリス、オランダのもつ
東南アジアの植民地を攻める
「南方作戦」を打ち出し、
もはや、アメリカとの戦争は避けられない
状態となっていきました。

 

そしてこの戦いの指揮を取るのは
皮肉にも山本五十六さんと
なるのでした…

 

という事で
山本五十六 56歳 反対し続けた日独伊三国同盟が成立する
というお話でした。

 

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