山本五十六 57歳 真珠湾攻撃を開始

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山本五十六 57歳 真珠湾攻撃を開始

1940年、9月27日、
日本は日独伊三国同盟に調印し、
軍事同盟が成立しました。

 

1941年8月、アメリカが日本に対して
石油の輸出を全面禁止しました。
石油の8割をアメリカに頼っていた日本は
窮地に陥りました。

 

日本は石油を確保すべく、
アメリカ、イギリス、オランダが植民地とする
東南アジアを攻める「南方作戦」を打ち出し、
もはや、アメリカとの戦争は避けられない
状態となっていきました。

 

連合艦隊司令長官の山本五十六さんは、
英米との戦争を懸念し、
日独伊三国軍事同盟に反対し続けましたが、
皮肉にもこの攻撃の指揮を取ることに
なりました。

 

山本五十六さんは「常在戦場」の精神を持ち、
軍事同盟や戦争に反対しつつも、
いざという時の準備をしていました。

 

山本五十六さんは友人への手紙で
「個人としての意見と正反対の決意を固め
その方向に一途邁進の外なき
現在の立場はまことに変なものなり
これも命というものか」
とつづっております。

 

山本五十六さんは、先制攻撃で大きなダメージを与え、
一気に敵を意気消沈させる事を考えました。

 

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航空機の利用がカギとなると考え、
世界最高の加速を誇る零戦(ゼロ戦)で、
アメリカの主力艦隊を一気に葬り去る
作戦を考えました。

 

1941年12月8日、
司令長官山本五十六さんの指揮のもと
30隻の艦隊が真珠湾を目指しました。

 

この攻撃が講和につながると信じて、
真珠湾の攻撃を開始しました。

 

真珠湾に魚雷、爆撃の雨を降らせ、
アメリカ軍の戦艦5隻を沈没させ
9隻に大きな損害を与え、航空機188機を
破壊し、奇襲は成功しました。

 

翌日の新聞では大勝利の報告に日本中はわき、
山本五十六さんが英雄となりました。

 

しかし、実は最大のターゲットであった
敵空母が港に不在で無傷のままで、
工場、石油タンクを破壊することもできず、
この攻撃はアメリカにとって
壊滅的なダメージとはなっていませんでした。

 

また、事務的ミスにより、
宣戦布告文書が届いていなかった事が明らかとなり、
国際ルールを破ることとなり、
世界中から「だまし討」の汚名を着せられ、
アメリカは宣戦布告なき奇襲に激怒し、
ルーズベルト大統領も
「このような卑劣な行為を許してはならない」
と演説し、日本に対する憎悪を
掻き立てる結果となってしまいました。

 

という事で
山本五十六 57歳 真珠湾攻撃を開始
というお話でした。

 

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